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キャンディボックス

オタクの道は 修羅の住まう 茨道 凡人に 理解を 乞う気は こざらぬ

三日月を見た

 

三日月を見た

 

 

空に浮かぶ三日月ではない

 

 

大昇と龍我がユニットで披露した嵐の楽曲の

『三日月』

 

 

スプパラで披露されたあとぎゃーぎゃー言っているだけの感想は軽く書いたけど、あの公演から1年後になんと少クラで再びパフォーマンスが放送されることになり、この奇跡に感謝を込めてしっかり三日月に対する気持ちを言葉にすべきだと思った。今日は7月7日の七夕だから投稿日としてもぴったり

 

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(円盤を見ながらの実況的感想)

大大大前提として、この曲は織姫と彦星がモチーフになっている

青白い光がほのかに灯る暗闇の中バクステに現れたのは和服姿の龍我。ライトが当たりスモークが包む。黒と白とピンク色が使われた豪華な着物だ。一度暗くなるところで顔がアップになるが、僅かな光を反射する瞳が会場を見渡しているのが分かり飲み込まれそうになる。龍我の目の輝きには求心力がある。ちなみに原曲はここのメロディから始まらない。DVDトラック上もINTERになっていて曲の一部(アウトロ)がサンプリングされている。切ないピアノの音色を頭に持ってきたことで冒頭から胸を締め付けられる

次にセンステに現れたのは同じく和服姿の大昇。ここから正規のイントロ。こちらの衣装は青色基調で赤も差し色に使われている。モニターの天の川の前で舞う姿が映ると一気に世界観に引き込まれる。MVなら間違いなく宇宙空間で撮っていただろう。これはペンライトの海の中でやるには勿体無いとさえ思ってしまった。しかし撤回。ペンライトは天の川を、織姫と彦星を取り巻く星々なんだ。きっと客席も演出の一部になっている。もし制御型のペンライトだったら間違いなく2人を囲むのは白い光だっただろうが赤と黄色のメンカラに彩られているのもコンサートという感じが強くてなんだかんだ良い

途中から龍我にも再びスポットライトが当たる。バクステとセンステ、2人は離れたところにいる。同じ画角で映ると尚更距離を感じて苦しい

 

夜空を分ける 川は遠く

二人の季節を待って 願い溢れてる

その理由がこの歌詞。ここから大昇パート。本家を聴いていると歌声が加工(所謂ケロケロ加工)されているのが分かるが、今回は本家と比べるとあまり強くないように感じる。夜空を分ける川、つまり天の川が織姫と彦星の間に流れている。見える、バクステとセンステの間に天の川が。儚げな表情でときに目を閉じながら歌う大昇は完全に織姫を想う彦星。対する織姫・龍我は天の川の向こうで優雅に舞っている。龍我は雑誌で「踊り方も美しく見えるように意識した」と言っていた。着物の長い袖がきれいに映える舞だ。正直会場では2人のどちらに目を向ければ良いか迷う贅沢な悩みがあったが、映像だと上手く一緒に映されていることが多くありがたい限り

 

触れてみれば 切ないほど 淡い光に

頬を濡らしたひとしずくは 胸に溶けて

2人の会いたいという願いで溢れている光に手を伸ばしたあと涙に濡れた頬に触れる。ここまで離れ離れ故一度も目も動きも合うことのなかった2人は“胸に溶けて”でついに向き合う。その状態で横に広げた両手を素早く胸の前に持ってくるという動きを全く同じタイミングで行う。このサビ前の同期する瞬間が本当にに好きで何度も見てしまう。天の川の向こうの織姫も同じように彦星を想っていると分かる。しかし同期はその一瞬だけだ

 

空よ 忘れないで 流れる星粒を 見守って

川を 越えて行くから

今宵もまた 夢で逢えるように

サビに入った瞬間天の川のモニターにはたくさんの流れ星。サビは龍我パート。初めて聴いたときはこの歌割りが珍しく新鮮だったが今はしっくりきている。ユニゾンどころか掛け合いができる距離にお互いいないからなのだろう。離れている2人がそれぞれ長めのフレーズを歌うことでそれが際立っている。大昇も龍我も透明感のある歌声だから伸びやかなメロディのこの曲にピッタリだと何度聴いても思う。“空よ忘れないで”と空に語りかけるフレーズが印象的だ。お互いがぽつんと天の川を挟んで孤独でいると分かる。“流れる星粒を見守って”とあるが、星が動いているように見えるのは自転する惑星のみであり、宇宙視点ではもちろん星は1ミリも動かない。では流れ星のことなのか、しかし実は2番にも“夜よ終わらないで 消える星粒を見送って”と昼夜の概念が無い宇宙では考えられない歌詞がある。そもそもベガとアルタイルという星を擬人化したのが織姫と彦星な時点でなんでもありな気がしないでもないし、人は宇宙で生きられないと言ってしまえばおしまいだ。「七夕に雨が降ると天の川が溢れかえって会えなくなる」という伝説も雲のずっと上の宇宙では関係ないのに私たちは晴れますようにと祈る。……無粋なのでそこら辺は深く突っ込むのはやめておく。飛躍解釈になるかもしれないが、織姫と彦星になぞらえた地上の恋人同士の歌だと思ってもいいのかもしれない。パフォーマンスに戻る。サビに入って再びバラバラに動く2人だったが、“川を越えて行くから”で歌詞通り龍我は花道を進み大昇がいるセンステへ向かう。強い足取りで天の川を越えて行く。これをやるために龍我はサビを歌わなくてはいけなかったんだ。きっと大昇が歌っていたら立ち位置は逆だっただろう

 

2人が合流して横並びになっての間奏。テンポアップするリズムだが音としてはシンプルで静かな中の情動が感じられるメロディになっている。両手を広げて横並びになると着物の袖もきれいに見えて壮観。2人の柄の違いもよく分かる。モニターは星の軌跡写真になっている。星の始点と終点を結んでいるからこの一晩の出来事だと伝えるために時間経過を表しているのか。逆に写真であることを強調して時間が止まっていることを表しているようにも見えてきた。(考えすぎか。ともかく軌跡写真はきれいだと再確認) サビ前同期以来のシンクロダンス。曲調が変わると同時に優雅な舞とは違う激しいダンスになる。着物の重さを感じさせない軽やかな動きに息をするのも忘れて見入ってしまう。切り替えの早いカメラもかっこいいが、定点で見たときによく分かる息ぴったりなダンスも忘れられない。それを踏まえても、円盤になって感じたのが映像作品として完成されていたことへの驚きだった。ライティングとスモークがあまりにも良い仕事をしている。間奏から足元の青い光は消えて2人の背中、モニター側から強めの白いライトが当たる。正面から撮ると逆光のようになり表情が見えないくらい暗く映る。両手広げの次のカットでよく分かるが前半と雰囲気がかなり変わる。次に全身が映ると光に照らされたスモークが影が落ちる2人を包んで幻想的。同じスモークでもこんなに違うのか。そして次が個人的に1番好きなカット。半回転する瞬間だけライト側から撮っていてダイナミックになびく着物が煌々と照らされる。ものの1秒、顔も全然映っていないのに初めて見たときは鳥肌が立った。陰から陽になったのも一瞬でまたすぐに逆光アングルに戻る。モニターの軌跡写真はゆっくりと時計回りだったがダンスが始まると音に合わせて抗うように反時計方向に瞬く。星は地上から見ると実際は反時計回りに軌跡を作る。やはり深い意味は無いのだろう。間奏のラストは手を広げ走りながら2人で円を描きそのまま背中合わせになる

 

空よ 忘れないで 流れる星粒を 見守って

川を 越えて行くから

今宵もまた 夢で逢えるように

一瞬暗転したあと前半よりも明るいライトが上から当たる。冒頭の距離感を思い出してほしい。あんなに遠かった2人がついに背中合わせにまで近づいたのだ。念願の並びを見て思ったのはやはり自分は大昇と龍我のビジュアルが大好きだということ。ユニゾンで歌われる大サビは歌声が溶け合っていて全く喧嘩をしていない。好きフィルターを抜きにしても大昇と龍我の声の相性は最高だと思っている。ここのカメラアングルで1つ物言いさせてもらうと、背中合わせを正面から撮ってほしかった。“流れる星粒を”で2人で同じ方に手を出して上へ挙げる振りを最後に背中合わせタイムはあっという間に終わってしまう。アップも龍我の分しかないあたり本当に短い時間だということが分かるから仕方ない。スプパラ当時、WSの1つで流れ星モニターも映るように正面から撮られた映像が奇跡的に放映された。あとは円盤に付いているブックレットに映像にはないアングルの素敵な写真があるため、それらを大切に仕舞っておくことしかできない。“川を越えて行くから”で2人は並んでセンステからメンステに向かって花道を歩いて行く。途中、花道の真ん中で立ち止まり振り返る

 

そっとおやすみ

頭に載せた画像がまさにそのシーン。この動きに謎の安心感を覚えた。周りにペンライトがあるのと同じ安心感。ああ2人は今アイドルデュオだったんだとハッとするくらいにはこのパフォーマンスは芸術作品と化していた。アイドルデュオというと似ていないがWinkの『淋しい熱帯魚』の有名な振りをなぜか思い出した。重ねた片方の手をひらひらと下ろすと、再び歩き出す。ピアノが奏でるアウトロが曲が終わってしまう悲しみを助長させる。メンステにたどり着いた2人は間奏の始めのように両手を大きく広げる。モニターには天の川と流れ星。スモークに巻かれて消えてしまいそうなのに堂々とそこに居る織姫と彦星。儚い儚い3分余りだった

 

実況のような感想はここまで

 

“そっとおやすみ”に戻るが、1番優しくささやくような声で歌われるこのワンフレーズはなぜこんなにも聴いていて胸が苦しくなるのだろうか。その理由を明らかにするためにも織姫と彦星の再会について今回の演出含めて考察しなければならない。頭に載せた記事と被るが改めてまとめてみる

コンサートでの演出の流れは、遠くに立つことで天の川を挟んで離ればなれの織姫と彦星を表現したあと、“川を越えて行くから”を歌った織姫が彦星に逢いに行きそのまま2人が寄り添う形で終わる。しかし歌詞をよく見ると確信的なフレーズ、“今宵もまた夢で逢えるように”がある。つまり2人は実際は逢えていないはずだ。今更言うまでもないが織姫と彦星の伝説によると、2人は年に1度7月7日の七夕にしか逢うことを許されなくなった。曲中で逢えていないということは日付は7月7日ではないということになる。ここでタイトルの『三日月』の意味を考えなくてはいけない。ちなみに歌詞には月のつの字も出てこない。旧暦は月の満ち欠けが基準になっているから、1日は必ず新月で15日は必ず満月、七夕は七日月だから必ず半月になる。見上げた月がタイトル通り三日月ならば絶対に七夕当日ではないし歌詞の状況と一致する。つまりこの曲の舞台は旧暦が使われている世界なのだろう。旧暦は明治時代までだから和の世界観にもぴったりだ。歌詞に月の描写が一切無いからこそタイトルからこういう風に考えられるのは面白い。(そもそもこの解釈が合っていればの話だけれど) コンサートの演出の話に戻るが、“川を越えて行くから”は物理的な意味ではなく、夢の中での逢瀬を演ったということになる。一緒に舞い踊るのも背中合わせで歌うのもすべて夢。歌詞を見ただけ、曲を聴いただけなら逢うことのなかった織姫と彦星が、視覚的に夢での逢瀬を見せてくれたことに感謝したい。最後の“そっとおやすみ”は遠くにいる相手に向けて、せめて夢の中で逢えますようにと願う2人の気持ちなのだ。パフォーマンス上隣り合っているのに切なさがこみ上げるのはそういった理由がある

 

 

ここまで敢えて“美しい”という言葉を使わないようにして感想を書くようにしてきた。そうでもしないと全てが“美しい”で完結してしまうから。というわけでここからは思う存分“美しい”に着目しつつ文の堅苦しさも少し解いてラストスパート

 

優美

スプパラの公演名はYOU & 美。ここから&を抜くとYOU美、ユービ、そう優美になる。優美は「みやびやかで美しい」、つまり上品な美しさ。いや~~~美しかったよね、みやびやか、そう、和の美しさをとことん感じるパフォーマンスだった。たいりゅの三日月を一言で表すなら絶対に“優美”だね。(今決めた) さらに良かったのが、静の美しさと動の美しさを1曲で感じられたこと。上でも散々書いたけど、全体的にしっとりとした曲の中で間奏の激しいダンスが際立っていた。静と動の美を両方楽しめるのはマジでお得パックすぎる

 

美麗

見た目に快く美しいさまを美麗と言い表す。まず、たいりゅは顔が良い。さすがに脳死すぎるからパフォーマンスと結びつけると、2人とも一切笑ってないんだよね。たいりゅにはかわいいを見いだすことが多いんだけど、それが封印された今回の儚い表情も良すぎた。大昇も龍我もこういう表情が本当に上手。だからこそしっかり2人の顔が見れる最後の最後の横並びの時間は短すぎるけど贅沢な時間だった。離れている時間が長い分この瞬間にカタルシスを感じるほど

顔だけじゃない。2人はスタイルも美しい。和服姿の2人は間違いなく織姫と彦星だった。とは言っても織姫と彦星を画像検索すると、特に彦星は大昇の衣装とは似ても似つかない。それでも青とピンクが並べば勝手に織姫と彦星は割り振られる。デザインは和服として見ることの多い浴衣とは全くの別物。袖丈も着丈も地面に付くぐらい長いが背が高いから豪華な衣装でも着られてる感は一切無い。本当にこの衣装天才。大昇のは鮮やかな青色に大ぶりの柄が入っていて動くとよく見える赤色が良いアクセント。龍我のは細かな柄が入った黒色をベースに存在感のあるピンク色がしっかり差し込まれている。ただの色違いじゃないから見ていて面白い。そして白色の部分が2人ともあって共通している。忘れちゃいけないのが下に次の赤衣装を着込んでいて、その一部である黒のレース手袋をここでも着けていた龍我。和洋折衷の美しさだった。帯の結び目を前にしていたり(結び方が違うの良すぎる)、袖を見ると分かるけど違う素材を継ぎ足した感じになっていたり現実離れしたデザインなのが特別感があって本当に好き

 

羞花閉月

これもまた美しさを表す四字熟語。由来が七夕と同じ中国だし、“月”という字が含まれているのも三日月というタイトルと縁を感じたから持ってきた。あまりの美しさに花や月までも隠れてしまうという意味である。つまり花が咲き誇る様子や月が輝く様子に匹敵するほどの美しさがあるということ。そんなんたいりゅにぴったりじゃん。女性に使う言葉らしいけど2人を前にそれは意味をなさないし、そもそも織姫と彦星の役割はあっても性別の概念を感じないパフォーマンスだった

 

 

ありがとう

感想全部を引っ括めるとこれに尽きる。スプパラのあとずっと選曲が誰だったのか気になっていたんだけど、そもそもユニット自体やりたい系統で組まれたのだそう。組み合わせは決められていてそこから選曲したと思い込んでいたからびっくりした。つまりたいりゅは和の曲がやりたいということで一致したんだね。それだけで涙出る。曲の提案はスタッフとのこと。素晴らしい曲を教えてくれてありがとう。そして、素敵な衣装を用意してくれた人ありがとう。モニターに天の川と流れ星と軌跡写真を映してくれた人ありがとう。ライティングとスモークの演出を考えてくれた人ありがとう。『三日月』を世に出してくれた人ありがとう。嵐ありがとう

何よりたいりゅありがとう